ました。原因は呼吸不全みたいです。これは初めて知った事なんです
が、「93年に肺がんを患い克服。しかし、04年に再発。これも手
術&抗がん剤治療で克服したかに見えたんだけど、05年シーズン中
に再び病魔が進行・・・。(スポニチから抜粋)」仰木彬氏と言えば、
88年、10/19のロッテオリオンズとの最終戦ダブルヘッダーで
死闘を演じ、89年は、西武ライオンズ、オリックスブレーブスとの
三つ巴を制してパリーグ制覇。そして、読売ジャイアンツとの日本シ
リーズで、まさかの3連勝4連敗。阪神、淡路大震災後の95、96
年オリックスブルーウエーブの監督としてパリーグ連覇!!(96年
は日本一)近鉄時代は「いてまえ打線」オリックス時代は「日替わり
打線」でチームを牽引。そして何と言っても野茂英雄・イチローを、
見い出した事でしょう。野茂は、ドラフト会議8球団競合の末、獲得
したんだけど、『トルネード投法』をいじらず、そしてルーキーなの
にマイペース調整を許し、新人で最多勝を獲得(あと、沢村賞もとっ
た記憶が?)イチローは、前監督の土井氏に『振り子打法』を否定さ
れて、くすぶっていた時に、仰木彬氏が監督になり、ハワイの教育リ
ーグ?(ウインターリーグだったけ?)でのイチローのプレーぶりか
ら、イチローの才能を見い出し、一軍昇格。そして、最多安打リーグ
記録更新。(ちなみに、今、阪神タイガースの岡田監督が、現役時代
晩年、スキャンダル騒動に巻き込まれ、阪神タイガースから自由契約
になった時、手を差し伸べたのは、仰木彬氏でした)
個人的に、死期が早まってしまったのは、オリックスバッファローズ
の監督に就任したからではないかと?去年の球界大騒動で、「オリッ
クスブルーウエーブ」と「近鉄バッファローズ」が合併し、この2つ
のチームを上手く融合するには、仰木彬氏しかいなかったから・・・。
その時70歳。という所を差し引いても、この選択は正しかったと思
うけど・・・。ただ、もし合併騒動が起きていなければ・・・。と思
うと残念でなりません。この事は本人も覚悟の上でやっていた様な気
がします。今度は、天国から野球を楽しんでいただきたいです。自分
の教え子のプレーを。そして、見守っていただきたいです。日本の野
球の行く末を。日本の野球は今、ある意味過渡期だと思います。上手
く乗り切るためにも。最後に、仰木彬氏の御冥福をお祈りします。
このたびはコメントありがとうございました。
時間が経ってようやく気持ちに整理がついたところですが
悲しみに変わりはありません。
ずっとずっと私たちにも選手にも
苦しみを表に出すことなく戦い続けた姿勢は
どこか私たちも見習わないといけない部分なのかもしれませんね。
最後になりましたが
またお邪魔することもあるかと思いますので
今後もよろしくお願いします。